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季節(トキ)の硲で…

小さな庭を眺めながら 徒然なるままの独り言…しばしおつきあいいただければ幸いです

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迦陵頻伽(Kalavinka)の冠毛









ふと 見上げた枝先
合歓の花の淡い gradation が
揺れていた


ふと 呟いてみる
若空無我常楽我浄
仏の言葉を鳴くという
迦陵頻伽の妙なる声音


合歓の花が咲くと 思う
迦陵頻伽の冠毛って
きっと こんな感じ


(そもそも仏教の想像上の鳥だし
その姿は上半身が人で下半身が 鳥
…ってことは 冠毛もなさそうだけど
でも 何故だかそう思ってしまう
カラヴィンカの冠毛みたい…って)


生きるのが ふと
辛く思えてしまう時
手に取る本が ある
とても 厳しくて
とても やさしい言葉と
胸に刺さるようでいて
目を離せなくなる写真を連ねた
わたしの 多分 聖典(Bible)


迦陵頻伽 という鳥の名を知ったのも
この本の一節だった
若空無我常楽我浄
その言葉の意味よりも
カラヴィンカ…妙音鳥とも呼ばれる
妙なる声の鳥の姿を思い描くのが
何故だか 楽しくて


合歓の花のような冠毛を持つ美しい鳥が
このまま明けないかと思える夜も
その歌声で夜明けの燭光を
呼びこんでくれる


地平を染める朝陽は
やはり 合歓の花に似て
新しい1日に出逢えた歓びを
思い出させてくれる
生きていていいんだ って
生きている それだけでいいんだ って


生きていることが歓びなんだ って


明かりを消す前に
深呼吸を ひとつ
そして おまじないに 呟く
若空無我常楽我浄
この世が空であったとしても
あなたがいれば わたしも あって
永遠の真理 それは
ふたりで生きることの歓び


(あぁ 仏さま ごめんなさい)


涅槃の境地にはほど遠くても
生きてゆける と思えるのなら
それでいいのだ と
きっと 赦してもらえそうな気がして


思い描く涅槃の鳥は
やっぱり 合歓の花の冠毛を揺らしながら
わたしの胸のなかで
朝を言祝ぐウタを 謳う










わたしの聖典(Bible)
藤原新也さんの『メメント•モリ』

『memento mori』
自らが死すべき存在であることを
記憶せよ…死を思え という
ラテン語の宗教用語らしいです
この本の中で藤原氏は
生と死の本来の意味を
徹底的に問い続ける


『死は生の水準器のようなもの
死は生のアリバイである』

等身大の生と死を
逃げずに見つめ続けること
それは 時にとても辛いけれど
逃げたくなった時に わたしは
この本を開きます

『最後のときの何時かの瞬間を決断し、選びとる』
そのための決断力をやしなうために











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